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2005
06.25

雨のあと。

 ぎゃわぎゃわと昇降口の方から変な叫び声が聞こえてきたとたん、あたしの首は90度右を向いた。
 確認しなくても判る。聞こえてきたのはアイツの声だ。なんつー声出してんだとか思いながら靴を履き替えて出口に向かうと、やっぱりそこには外を見てぎゃわぎゃわと余所の世界の言葉を発しているヨシアキがいた。
「ぎゃわー。なんだよー雨降ってんじゃーん」
「ボクちん傘ないよー。ヨリコちん傘入れてよー」
「やだよアンタ背デカイんだモン。あたしが濡れちゃうよ」
 さっきまではいい天気だったはずだ。教室の窓から見えた空は夏を感じさせる青空だったのに。バケツをひっくり返したような雨とはたまに読む本でよく出てくる言葉だけれども、流石ショウセツカという種類の人間はボキャブラリーの幅が違うと思う。今あたし達の前で降っている雨はまさにそれだ。
「夕立だねえ。これから暑い季節になるよ」
「あたしは夏の方が好きだよ」
「夏女だモンねえ、ヨリコちんは」
「人をバケモノみたいに言わないッ!」
 昇降口の鉄の扉に寄りかかりながらあたし達はその場にしゃがみ込む。いつもなら向かいにある体育館からバスケ部の声が聞こえてくるのに、流石にこのアスファルトを叩く雨音で掻き消されていた。
 ヨシアキは仔犬のようなヤツだ。身長だけはやたらと高いのに、幼い顔つきとサラサラの髪と屈託のない性格も手伝って、意外とカワイイ感じがする。
 ガキっぽいと言ってしまえばそれまでだけど、でもその笑ったときの顔を見ればこいつはこれが一番良いんじゃないのって思えてくるから不思議だ。
 ヨシアキとあたしは腐れ縁ってヤツだった。小学校から一緒だから、気が付くといつも同じグループにいたりする。
 多分友人の趣味が一緒なのだ。自分が居心地の良いところというのが、同じなのだと思う。
 でも、ふたり付き合っちゃえばいいじゃーんとサトミの言葉には、いつもヨシアキがそんなのヨリコちんに悪いよーと誤魔化して話を終えてしまうのだ。
 あたしの気持ち、判ってるのかな?
「今日、タカシは?」
「部活だってさー。ツマンナイのー」
 フジワラタカシはサトミの彼氏だ。野球部で甲子園を目指しているワケではないけれど、完全な幽霊部員でもないらしく、週に一度二度ほど練習に顔を出す。かろうじてベンチには入れるくらいのジツリョクを持っているらしいけれど、ウチの野球部自体がかなり弱い方なので威張れたモノではないとタカシは言う。
「じゃあサトミは見学かー。とすると今日のあたしはアンタと一緒に帰ることになりそうねー」
「なんだよーヨリコちん俺と帰るのイヤ? せっかく帰りにマック寄っていこうと思ってたのに?」
 ヨシアキはいつも笑っている。目が細いからそう見えるのかそれとも顔がそういう作りなのか、そんな顔で髪なんぞ掻き上げられた日にゃ誰だってドキリとする。
「雨止まないねー」
「そりゃ降り始めたばっかりでしょーが……」
「やっぱアイアイ傘だねッ」
 ガキかアンタは。
 今時相合傘なんかで喜ぶなっつーの。
「ッて言うか、あたし濡れちゃうからイヤって言ってるじゃん」
「ぎゃわわわー。んじゃヨリコちんは俺がズブ濡れになってハイエン起こして死んじゃっても全然構わないんだ?」
「あひゃひゃひゃ。アンタはそのぐらいが少しマットーになっていいんじゃないの?」
「ウワひっでー。せっかく奢ってやろうと思ってたのにさ?」
 口を尖らせて拗ねる顔。そんな顔を私は可愛いと思う。
「あー、ウソウソ。フィレオでいいから奢ってー」
「ヨリコちんって安上がりだよねー」
 今度は真っ白な歯を見せて笑った。隙ッ歯の中に形のいい八重歯が見える。
「ヨシアキって何度見てもカワイイ顔するよねー。特に笑ったとき」
 ふふ。
 そう、その笑顔があたしの一番好きな顔。

 長いつき合いがあるとはいえ、あたしはヨシアキのことをよく判ってない。
 普段取り留めもない話をするだけで充分楽しいけれど、深層のところは絶対に表に出さないのがヨシアキだ。自分の感情を押し殺してしまうヤツだというのはタカシの判断だけど、あたしはヨシアキは優しすぎるのだと思っている。
 人と争うことがキライなのだ。だから、いつも笑っている。笑っていれば人と争うことがないからだろう。きっと機嫌が悪いときや哀しいとき、寂しいときだってあるのだろうけれど、そんな表情をあたしは見たことがない。
 そんなヨシアキをあたしはカワイイと思う。自分を表現することが苦手なのかそれともわざと隠しているのか判らないけれど、いつも一生懸命笑おうとしているヨシアキが。
 これはラブだろう。可愛くて愛しくて、もう食べちゃいたいくらい。
「傘持ってくれる?」
「うん」
 相変わらず叩きつけるように雨は降り続けている。
 相合傘の雨がこんな土砂降りでは少しもロマンティックじゃないけれど、ヨシアキと一緒に帰れるのならそれでもいいと思う。
 相合傘程度で喜んでるのは実は自分の方だったか。
「フィレオ奢ってよ?」
「もちろん」
「手、繋いでもいい?」
「傘持たせるんじゃなかったの?」
「あ。んじゃ腕組んでいい?」
「ヨリコちんが恥ずかしくなければ」
 ヨシアキは仔犬っぽく笑った。その笑顔に何度ドキドキさせられたかヨシアキは知らないだろう。恋するオトメだなんて古い言葉は使いたくないけれど、そんなオトメは大好きな一番の男の子の笑顔に胸躍らせるのだ。
「ヨリコちんもカワイイと思うよ。笑ったとき」
「ぎゃわー。アンタいきなりナニを。こっ恥ずかしいじゃないですか」

 シンゾウが。
 胸がバクバクと爆発して。

「あははー。ヨリコちんもしかして照れてる? いつも俺に言ってるのをそのまま返しただけなのに」
「バッ! バカ言うんじゃないわよッ! ヨシアキのクセにー。それに笑ったときってナニよ? いつもと言いなさいいつもと」
 あははーとヨシアキは笑った。
 まさかしてやられるとは。
 まだ胸の鼓動が収まらない。
「雨、止みそうだよ?」
 気付かれないように胸を押さえて落ち着かせるあたしの横で、ヨシアキは空を見てそう言った。
 確かに小雨になってきてる。
「早く行かないと相合傘にならないよー」
 ヨシアキは立ち上がって手を差し伸べた。相変わらずあたしをドキドキさせる一番の笑顔で。
「ナニよホントに相合傘で帰るつもり?」
「つもりー」
 ヨシアキに手を引っ張ってもらって立ち上がる。
 鞄の中から傘を引っぱり出してバンと広げた。
「ぎゃわー。バーバリー」
 珍しくもないだろう、バーバリーの傘だなんて。
 ヨシアキが傘を持つ右手に、あたしは左手を絡めて傘に入る。濡れないように身体をぴったりと寄せた。
 ちょっとドキドキ。
 そして歩き始めたとたん、
「あ」
 雨は突然止んだ。
 小雨になっていたとはいえ、まだまだ止む気配はなかったのに。
 傘の中から身体を少しだけ出して空を見上げる。
 雲の間から初夏の太陽が顔を出していた。
「止んじゃったねー」
「ありゃー。相合傘ももう終わり? 腕組みも?」
 ふたりで立ち止まってお互いの顔を見る。
 そしてくすっと笑うと、またそのまま歩き始めた。
 まあいいんじゃない?
 雨が降ってなくたって、相合傘で帰るのもさ。
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