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2009
06.03

いつかの園。

 思い出すほどにはっきりと蘇ってくるようだった。
 緑の影を深く落とした林の木と人の住んでいる気配の無い屋敷、そしてそこにいた青年。
 それと、薔薇の花の薫り。
 まわりを大きな常緑樹に囲まれた古い石造りの屋敷で、青年は青い薔薇を育てていた。
 あの時の私はまだ夢と現実の区別のない世界にいた。
 突然降りだした激しい雨に驚いて、一緒に遊んでいた友達ともはぐれてしまった。いつも遊び慣れた筈の公園の林で迷子になり、不安の涙と止まらない雨とが混じって頬を伝いはじめた頃、一際大きく枝を伸ばした木の間から見付けたあの大きな屋敷。
 初めて見たその家に何故か安心して、それと少しの好奇心が手伝って自然と私の足は近付いていった。
 石の壁伝いに歩いていくと、雨の匂いに紛れて足元の方からとても良い薫りが漂ってくるのに気付いた。石の壁の暖かさは触れている私の指先から伝わって、雨の冷たさをいつの間にか忘れさせてくれていた。
 やがてその壁が私の手から離れると、私の眼はだんだんと強くなるあの薫りの主を見付けていた。
 高い屋敷の石壁と深い緑の木に変わって私の目に飛び込んできたのは、
 青い薔薇の絨毯。
 青年はその真ん中にひとり立っていた。
 花が思いのままに茎を伸ばしているその中にあまりにも溶け込んでいて、はじめはその姿さえ判らなかった。雨はまだ降り続いているのに、彼はそれほど濡れた様子もなく薔薇の花ひとつひとつを見ていた。
 ……と、不思議な空気に見惚れていた私に気付くと優しく微笑んで手招きしてくれた。
 石の回廊に備えつけられた長椅子にふたりは腰掛け、彼はどこからか持ってきたタオルで私の顔を拭いてくれた。その大きなタオルに包まれながら、私は周りを見回してみた。
 高い回廊の天井。屋外へと続く扉の向こうは薄暗くてよく見えない。古い洋式風な窓はどれも長い間閉ざされたままのようだった。
 窓際の洋燈には短くなった芯が焼け残っていた。
 まるで博物館か美術館のように空気は重く、人の生活しているような雰囲気など何処にもなかった。
 しかし何よりもこの場所から眺めるこの中庭は、時の経つのも忘れてしまうほどに綺麗だった。
 造られたものではない、自由に伸びた花や木の緑が、綺麗だった。
 古い屋敷、高い木に囲まれた灰色の空、遠く聞こえる雨の音。
 青年は何も喋らずに唯私の隣に座っていた。
 私は、彼は私の知らない処にいた人なのだろうと思った。何故かまだ行ったことのない処。もしかしたら私が今そこへ来ているのがもしれない。
 私は彼と話がしてみたくなった。でも何を言えばいいのか。懸命に考えれば考えるほど、言葉は喉の奥へ隠れて出てこない。
 幼い私には彼の表情は読み取れなかった。
 彼はどうして此処にいるのか。
 青い薔薇を見つめて何を思っているのか。
 でも、彼の横顔を見ていたら言葉など意味の無いもののような気がしてきた。
 薔薇は、それは確かに青い色をしていた。
 目の眩むような鮮やかな青で、その花弁は指を近付けただけで崩れそうなほど華奢だった。
 そして雨の粒が、天鵞絨の上に転がる真珠のように光っていた。
 やがて雨は止んだ。
 流れていく時間のなどないと思えたこの場所に訪れたのは、夕暮れ。
「さあ、君はもう君の家に帰らなくては」
 青年の声は優しく響いた。
 まだ、帰りたくない。
 私の声は、声にならなかった。
 彼は長椅子から立ち上がり、雨の滲んだ葉に指を絡ませた。
 何時しか窓際の洋燈にも灯が点っていた。
「タ闇の迫る怖ささえも打ち負かす気持ちとともに帰りなさい」
 と、誰かの急き立てる声が何処からか聞こえるようで胸がどきどきした。
 もうすこし、ここに居たい。
「夜がきたら、戻れなくなってしまう」
 じゃあ一本でいいから、
 あの青い薔薇が欲しい。
「この薔薇は此処以外の場所ではすぐに枯れてしまう」
 またここに来ていい?
「その時が来れば」


 その日から暫くは幾度となく公園の林へ入りあの館を捜してみたけれど、いつも同じ道をたどっては同じ場所へ出てしまうだけだった。
 あんなに広く感じられた林が、訪れる機会が少なくなるにつれ段々と狭くなっていった。
 そのうちに公園もあの日の事も私の毎日から遠退いていったけれど、学校にいるときも友達と遊んでいるときも、あの日の事はふと私を横ぎって幼い日の絵空事とは思わせずにいた。
 何時の頃からか何気なく過ごしてしまう時間の中に私はあの日の事を思い出すようになっていた。それは思い出す度に、建物の装飾から青年の動作、薔薇の透んだ青までもさらに鮮やかになっていくような気がした。
 何故もう一度彼処へ行くことが出来なかったのか。
 まさか私の他に彼を知っている人がいるのだろうか。
 いつかあの日と同じ雨が降った日があった。
 その日の私はひどく疲れていた。
 そうだ、この雨だ。
 胸が締めつけられて、歩く足が止まった。
 そのままあの公園に行ってみたなら、もしかするとまたあの青い薔薇を見ることが出来たのかも知れない。
 でも私は行かなかった。
 きっとあの時あのまま公園に行ったなら今までとは違う今日があったのかもしれない。
 けれど、私は濡れない雨の下よりも雫の落ちるリノリュウムの上を歩いていた。
 もうあの雨の匂いはもう思い出せないかもしれない。今の私もまた、あの日の私よりもこの毎日に慣れているのだから。
 何時の間にか、あの青年の歳を追い越しているだろうか。


 そして私のなかで色褪せていく。

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2005
06.25

雨のあと。

 ぎゃわぎゃわと昇降口の方から変な叫び声が聞こえてきたとたん、あたしの首は90度右を向いた。
 確認しなくても判る。聞こえてきたのはアイツの声だ。なんつー声出してんだとか思いながら靴を履き替えて出口に向かうと、やっぱりそこには外を見てぎゃわぎゃわと余所の世界の言葉を発しているヨシアキがいた。
「ぎゃわー。なんだよー雨降ってんじゃーん」
「ボクちん傘ないよー。ヨリコちん傘入れてよー」
「やだよアンタ背デカイんだモン。あたしが濡れちゃうよ」
 さっきまではいい天気だったはずだ。教室の窓から見えた空は夏を感じさせる青空だったのに。バケツをひっくり返したような雨とはたまに読む本でよく出てくる言葉だけれども、流石ショウセツカという種類の人間はボキャブラリーの幅が違うと思う。今あたし達の前で降っている雨はまさにそれだ。
「夕立だねえ。これから暑い季節になるよ」
「あたしは夏の方が好きだよ」
「夏女だモンねえ、ヨリコちんは」
「人をバケモノみたいに言わないッ!」
 昇降口の鉄の扉に寄りかかりながらあたし達はその場にしゃがみ込む。いつもなら向かいにある体育館からバスケ部の声が聞こえてくるのに、流石にこのアスファルトを叩く雨音で掻き消されていた。
 ヨシアキは仔犬のようなヤツだ。身長だけはやたらと高いのに、幼い顔つきとサラサラの髪と屈託のない性格も手伝って、意外とカワイイ感じがする。
 ガキっぽいと言ってしまえばそれまでだけど、でもその笑ったときの顔を見ればこいつはこれが一番良いんじゃないのって思えてくるから不思議だ。
 ヨシアキとあたしは腐れ縁ってヤツだった。小学校から一緒だから、気が付くといつも同じグループにいたりする。
 多分友人の趣味が一緒なのだ。自分が居心地の良いところというのが、同じなのだと思う。
 でも、ふたり付き合っちゃえばいいじゃーんとサトミの言葉には、いつもヨシアキがそんなのヨリコちんに悪いよーと誤魔化して話を終えてしまうのだ。
 あたしの気持ち、判ってるのかな?
「今日、タカシは?」
「部活だってさー。ツマンナイのー」
 フジワラタカシはサトミの彼氏だ。野球部で甲子園を目指しているワケではないけれど、完全な幽霊部員でもないらしく、週に一度二度ほど練習に顔を出す。かろうじてベンチには入れるくらいのジツリョクを持っているらしいけれど、ウチの野球部自体がかなり弱い方なので威張れたモノではないとタカシは言う。
「じゃあサトミは見学かー。とすると今日のあたしはアンタと一緒に帰ることになりそうねー」
「なんだよーヨリコちん俺と帰るのイヤ? せっかく帰りにマック寄っていこうと思ってたのに?」
 ヨシアキはいつも笑っている。目が細いからそう見えるのかそれとも顔がそういう作りなのか、そんな顔で髪なんぞ掻き上げられた日にゃ誰だってドキリとする。
「雨止まないねー」
「そりゃ降り始めたばっかりでしょーが……」
「やっぱアイアイ傘だねッ」
 ガキかアンタは。
 今時相合傘なんかで喜ぶなっつーの。
「ッて言うか、あたし濡れちゃうからイヤって言ってるじゃん」
「ぎゃわわわー。んじゃヨリコちんは俺がズブ濡れになってハイエン起こして死んじゃっても全然構わないんだ?」
「あひゃひゃひゃ。アンタはそのぐらいが少しマットーになっていいんじゃないの?」
「ウワひっでー。せっかく奢ってやろうと思ってたのにさ?」
 口を尖らせて拗ねる顔。そんな顔を私は可愛いと思う。
「あー、ウソウソ。フィレオでいいから奢ってー」
「ヨリコちんって安上がりだよねー」
 今度は真っ白な歯を見せて笑った。隙ッ歯の中に形のいい八重歯が見える。
「ヨシアキって何度見てもカワイイ顔するよねー。特に笑ったとき」
 ふふ。
 そう、その笑顔があたしの一番好きな顔。

 長いつき合いがあるとはいえ、あたしはヨシアキのことをよく判ってない。
 普段取り留めもない話をするだけで充分楽しいけれど、深層のところは絶対に表に出さないのがヨシアキだ。自分の感情を押し殺してしまうヤツだというのはタカシの判断だけど、あたしはヨシアキは優しすぎるのだと思っている。
 人と争うことがキライなのだ。だから、いつも笑っている。笑っていれば人と争うことがないからだろう。きっと機嫌が悪いときや哀しいとき、寂しいときだってあるのだろうけれど、そんな表情をあたしは見たことがない。
 そんなヨシアキをあたしはカワイイと思う。自分を表現することが苦手なのかそれともわざと隠しているのか判らないけれど、いつも一生懸命笑おうとしているヨシアキが。
 これはラブだろう。可愛くて愛しくて、もう食べちゃいたいくらい。
「傘持ってくれる?」
「うん」
 相変わらず叩きつけるように雨は降り続けている。
 相合傘の雨がこんな土砂降りでは少しもロマンティックじゃないけれど、ヨシアキと一緒に帰れるのならそれでもいいと思う。
 相合傘程度で喜んでるのは実は自分の方だったか。
「フィレオ奢ってよ?」
「もちろん」
「手、繋いでもいい?」
「傘持たせるんじゃなかったの?」
「あ。んじゃ腕組んでいい?」
「ヨリコちんが恥ずかしくなければ」
 ヨシアキは仔犬っぽく笑った。その笑顔に何度ドキドキさせられたかヨシアキは知らないだろう。恋するオトメだなんて古い言葉は使いたくないけれど、そんなオトメは大好きな一番の男の子の笑顔に胸躍らせるのだ。
「ヨリコちんもカワイイと思うよ。笑ったとき」
「ぎゃわー。アンタいきなりナニを。こっ恥ずかしいじゃないですか」

 シンゾウが。
 胸がバクバクと爆発して。

「あははー。ヨリコちんもしかして照れてる? いつも俺に言ってるのをそのまま返しただけなのに」
「バッ! バカ言うんじゃないわよッ! ヨシアキのクセにー。それに笑ったときってナニよ? いつもと言いなさいいつもと」
 あははーとヨシアキは笑った。
 まさかしてやられるとは。
 まだ胸の鼓動が収まらない。
「雨、止みそうだよ?」
 気付かれないように胸を押さえて落ち着かせるあたしの横で、ヨシアキは空を見てそう言った。
 確かに小雨になってきてる。
「早く行かないと相合傘にならないよー」
 ヨシアキは立ち上がって手を差し伸べた。相変わらずあたしをドキドキさせる一番の笑顔で。
「ナニよホントに相合傘で帰るつもり?」
「つもりー」
 ヨシアキに手を引っ張ってもらって立ち上がる。
 鞄の中から傘を引っぱり出してバンと広げた。
「ぎゃわー。バーバリー」
 珍しくもないだろう、バーバリーの傘だなんて。
 ヨシアキが傘を持つ右手に、あたしは左手を絡めて傘に入る。濡れないように身体をぴったりと寄せた。
 ちょっとドキドキ。
 そして歩き始めたとたん、
「あ」
 雨は突然止んだ。
 小雨になっていたとはいえ、まだまだ止む気配はなかったのに。
 傘の中から身体を少しだけ出して空を見上げる。
 雲の間から初夏の太陽が顔を出していた。
「止んじゃったねー」
「ありゃー。相合傘ももう終わり? 腕組みも?」
 ふたりで立ち止まってお互いの顔を見る。
 そしてくすっと笑うと、またそのまま歩き始めた。
 まあいいんじゃない?
 雨が降ってなくたって、相合傘で帰るのもさ。

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